日本の城跡
総社城
(別称:植野城)
遠見山古墳・城の櫓が建っていた
訪問日
H21年10月
ポイント
利根川西岸に築かれたが、本丸全部と二の丸の半ばが利根川に崩落した。遠見山古墳は物見に使われたことから、「遠見」の名がついたとのこと。
印象
利根川河岸まで城域があったが、大半が利根川に崩落、更に残りの遺構も住宅・畑になり、昔を偲ぶものはない。部分的な住宅開発のせいで、道路が迷路みたいで帰りに苦労した。
地図
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略史 徳川家康の関東入部で諏訪頼水が入封したが、関ヶ原後、秋元長朝が入封しそれまでの蒼海城を放棄、植野に築城した。子泰朝は東照宮を造営したが、甲州谷村に移封され廃藩となった。その間秋元氏は天狗岩用水の開削事業に注力し、3年後に完成、新田開発が行われた。更に総社からの下流域はその後幕府代官伊奈忠次によって用水が延長され、合わせて利根川右岸流域の灌漑用水として現在も使われている。
城の一部、遠見山古墳
同
二の丸
二の丸