日本の城跡
吉井陣屋
陣屋復元表門
訪問日
H22年 9月
ポイント
吉井駅陣屋の南側一帯に位置し、100m四方の方形の館であった。大手は南面にあり、外桝形の土居があった。周囲は堀と土居で固めていた。
印象
長屋門的な入口があり、てっきり陣屋跡と思ったが、小学校の跡地であった。しかしそこには郷土資料館と移築された陣屋表門がある。民家の門となっていたものを寄贈された。屋根は直線に変形しているが、他はほぼ原形に近く二百年を経過している。陣屋はそこより北側にあり、路地の町割りが陣屋の縄張りのまま残っているが住宅地に埋まり、西南角の櫓台跡と長屋が残るのみである。
地図
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略史 1709年、家門(鷹司)松平信清は加増を受け諸候に列し、当初木部にあった陣屋を矢田に移した。松平氏は参勤交代を行わない定府大名である。次の信友の時、陣屋を矢田から吉井に移したが名称は矢田陣屋のままとした。その後九代信発は名を吉井陣屋と改め、更には明治元年に松平の姓を廃し、地名の吉井氏と改称した。最後の藩主信謹は上野の諸藩に先駆けて版籍奉還し、廃藩となった。
案内
表門裏側
家紋
隅櫓台(春日神社)
武家長屋敷跡