日本の城跡

江戸城(別称:千代田城)・本丸・二の丸・三の丸・西の丸中心

二重橋・伏見櫓
訪問日 H9年11月他
ポイント 海に面した台地の城。良港と広大な沃野、大河川が周囲に集まっている。徳川時代の江戸城は左巻きの渦巻き型の外堀に囲まれた広大な外郭と内堀に囲まれた内郭から成る。明暦の大火で五層の天守が焼失、以降十三回の火災に見舞われた。
印象 やはり日本一の城だ。本丸にも数回、他、周囲の城跡を廻ったが見切れない城。大手門・桜田門・堀等堂々とし、圧倒される。この緑と水の一帯は日本人の憩いの場所だ。
地図
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略史  関東八平氏の一つ秩父重綱の四男重継が後の江戸城本丸か西の丸あたりに居城を構える。子重長(江戸氏)は頼朝の挙兵に参陣し御家人として勢力を拡大した。関東管領職を山内、扇谷上杉家で争っていた頃太田道真・道潅父子は執事として扇谷家を支え、道潅は古河公方の進出をにらみ江戸城を江戸氏の館跡に築城した。しかし道潅は主君扇谷定正に謀殺され、扇谷朝良が直接居城とした。その後道潅の孫資高の内応で北条氏顕が奪取し宿老富永氏始め遠山氏、太田氏を入城させ隣接諸国への要衝にした。そして北条氏滅亡後徳川家康が国替えで関東入部し江戸城に入城した。徳川時代に文禄、慶長の一次、二次、寛永の改修を実施し近世の城郭、城下町として整備された。
三の丸大手門 同大手渡櫓門
三の丸尚蔵館
下乗御門跡(手前は三の丸で間に水堀があった) 同にある同心番所
百人御門跡 二の丸への銅門跡 中の御門前の百人番所 中の御門跡
同の大番所 新門跡と書院出櫓台 書院御門跡  台所前三重櫓台 
富士見三重櫓
 
富士見御門跡 数寄屋多聞跡石垣 松の廊下跡 富士見多聞櫓 石室
下埋門跡 西詰橋御門
蓮池濠・富士見多聞
天守台
同にある井戸 本丸跡 塩見御門跡・櫓台 塩見坂・白鳥濠・二の丸方面 二の丸庭園
白鳥濠 塩見坂 塩見多聞跡石垣 同と二の丸 二の丸御門跡(喰違御門)
上梅林御門跡 梅林 下梅林御門跡 天神濠 松原
平川堀と右の帯曲輪
平川渡櫓御門 同高麗御門
平川門方面・右は帯曲輪 五十三間櫓跡石垣 北詰橋御門(跳ね橋) 同高麗御門
桜田三重櫓・大手御門方面 同・内桜田御門方面 内桜田御門 富士見三重櫓 坂下御門
西の丸石垣 同土塁 西の丸下重臣屋敷跡
西の丸大手橋
同二重橋
西の丸大手御門 西の丸富士見櫓 西の丸 西の丸吹上御門方面
西の丸石垣
乾御門 旧近衛師団司令部 九段会館 上野にある池田家屋敷門 上野東照宮