日本の城跡
金沢館(別称:金沢文庫)
称名寺・館 |
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略史 鎌倉幕府執権北条義時の孫、実時は幕府要職を務める傍ら、和漢書籍を収集し鎌倉の邸内に文庫を設けた。しかし度々火災に見舞われた為六浦荘金沢に館を造営して文庫も移した。実時は公職を離れた後、この館で書写点校に専念、文庫の名は全国的に次第に有名となった。実時の後金沢氏を称し、特に貞顕は十五代の鎌倉執権となり館の整備は今も残る寝殿造りになる等一段と進んだ。北条氏滅亡後は称名寺の管理下になり、室町幕府の時代には足利学校に蔵書の一部が移されたが学問の府、金沢学校として存在した。 |