日本の城跡
喜多院(正式名称:無量寿寺喜多院)
略史 平安初期、淳和天皇の命で慈覚大師円仁が建立、無量寿寺と称した。無量寿寺は北院・中院・南院があった。その後兵火で炎上したが、鎌倉時代に伏見天皇が尊海僧正に命じて再興、関東天台宗の本山として栄えた。戦国時代に後北条氏と上杉朝定との争いで再度炎上した。しかし江戸時代に、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、北院を喜多院に改めた。そして川越藩主の酒井忠利に最高を命じ、徳川秀忠の時、関東天台総本山と定められ、寺領500石を賜った。その後、中院に仙波東照宮が建てられたが、川越大火で山門を除くすべての堂宇を焼失した。三代将軍家光は、藩主堀田正盛に再興を命じ、江戸城紅葉山御殿の一部を移築して、客殿・書院・庫理に当てた。この時新河岸川の舟運が開かれた。そして慈恵堂・多宝塔・慈眼堂・鐘楼門・東照宮等再建、200石の加増を受けて大寺となり徳川家の下で興盛した。なお南院は明治に廃院となった。 |