日本の城跡

武蔵国分寺

国分寺碑
訪問日 H12年 1月
ポイント 全国に国分寺68ヶ寺が建立された。武蔵国分寺は規模も大きく、分倍河原の合戦で焼失するまで長い間武蔵の仏教信仰以外の大学、病院の文化センターのような役割を果たした。
印象 現在も発掘調査中、規模も大きく楽しみ。薬師寺などゆっくりと散策した。しかし天平の時代に全国に国分寺・尼寺を創建、文化の波及促進に寄与したことに再度驚きだ。
地図
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略史  聖武天皇の詔により741年(天平13年)、鎮護国家を祈願して全国に創建された国分寺の一つ。僧寺と尼寺が併置されているが、僧寺は360m.〜420m.四方の寺域を持ち他国の僧寺の約4倍の規模であった。僧寺には金堂・講堂・七重塔・鐘楼・東僧坊・中門などが配置されていた。文化興隆の中心施設であったが1333年の北条氏と新田義貞との戦い、分倍河原の合戦で焼失した。その後新田義貞の寄進で薬師寺を建立、江戸時代の立替を経て今日に至っている。
金堂
礎石
現在の国分寺
薬師寺