日本の城跡
大蔵館
(別称:源義賢館・大蔵堀の館)
大蔵神社(館跡)
訪問日
H22年10月
ポイント
槻川と都幾川の合流点を北側の背後に控える大地縁辺部に位置する。東西170m、南北215mの単郭で土塁・空堀で固めている。都幾川の対岸に菅谷館がある。
印象
館の西南の大蔵神社があるところが館の中心であった。この周辺に土塁と空堀がはっきり残っている他、東側に土塁・空堀跡があった。
地図
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略史 源氏の棟梁、鎮守府将軍陸奥守源義家の家督、六条判官源為義の次男で近衛天皇の東宮時代に仕えて帯刀の長となった、源義賢の居館であった。しかし為義から家督を譲られた義賢が秩父重澄の支援を得て、相模から勢力を伸ばしてきた兄の義朝と衝突、義朝の長男の悪源太義平に館を襲撃され殺害された。この結果武蔵国は義朝の勢力が浸透した。
神社入口
土塁
同
神社方向
館跡から東側土塁方向
同土塁
同空堀跡
同土塁?
北側に残る土塁?