日本の城跡

大塚・歳勝土遺跡


大塚遺跡
 訪問日  H29年 9月
 ポイント  鶴見川支流の早淵川左岸台地上に立地。弥生時代の大規模な環濠集落が完全な形で発掘されたのは極めて稀で、加えてこの集落に伴う墓域が同時に明らかにされ、居住域と墓域の変遷が一体的に把握できる貴重な遺跡として重要である。大塚遺跡は環濠・土塁・木柵と弥生式竪穴住居27軒を保存(うち7軒復元)、高床式倉庫と思われる掘立柱建物10棟(内1棟を復元)を保存している。また、歳勝土遺跡は25基の方形周溝墓を保存し、5基を復元保存している。
 印象  城巡りをしていく中で、この環濠集落はまさしく、「土」から「成」、城のスタートであることを実感した。現在、この地はニュータウンとして多くの人々が生活を営んでいるが、2000年前も正しくこの地に弥生人が生活していたかと思うと、少し感慨深いものがあった。
 地図  
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略史  大塚遺跡は弥生時代中期の環濠集落。歳勝土遺跡は大塚遺跡の環濠と周囲に広がる土塁に近接した一帯から方形周溝墓群が発見され、同時代のものであった為、環濠集落に住んだ人々の墓地であると確認された。弥生時代は戦いの時代で「ムラ」を守る工夫がされた。集落の周囲に濠を掘り、濠の外側には土塁を盛り上げ、更に木の柵が設けられた。濠は防御だけでなく、排水・排湿・害獣対策にもなった。更に集落には住居・倉庫だけでなく、物見櫓なども築かれた。

歴史博物館からの通路、前方が遺跡跡

大塚遺跡・環濠集落

集落を巡る復元土塁と環濠


環濠集落

発掘竪穴住居

復元高床式倉庫

復元竪穴式住居

竪穴式住居跡と復元住居

環濠

住居


住同

住居内部


外側土塁

歳勝土遺跡・方形周溝墓





発掘された遺跡

公園内の江戸時代の長沢家移築民家