日本の城跡

さきたま古墳群


稲荷山古墳
訪問日 H27年 7月
ポイント 全国有数の大型古墳群。古墳時代、この周辺は利根川と荒川が存在する肥沃な土地で、すぐ東が東京湾につながる埼玉沼という大きな湖に突き出した半島だった。この為湖に面したこの半島の先端は、このあたりの有力氏族の格好の奥津城(墓地)で、かっては大小40基以上も存在した。日本最大の円墳の丸墓山古墳や大型前方後円墳群が一貫した計画性を持ち、しかも天皇陵クラスの大古墳にしか見られない二重周濠が巡らされているのは何故か疑問は多い。
印象 是非とも行きたかった所。想像以上に大きな古墳群だ。どんな有力氏族がいたのか?、大和朝廷との関係は?”雄略天皇に仕えた”と刻まれた鉄剣、そしていつ大和朝廷に組み込まれたのか?興味は尽きない。国指定遺跡で整備も良く、史跡博物館で事前の知識を入れた為より理解できた。
地図
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略史  5世紀後半から7世紀始め頃に作られた8基の前方後円墳と1基の円墳が残る大型古墳群。県名発祥の地、行田市大字埼玉(さきたま)にある。武蔵国造の地位に就いた曽我氏に近い笠原一族が築いたとも言われるが、不明確。このような墳墓は豪族の首長・王たちの力を示す為に作られたが、藤原氏による天皇制の確立、神の存在により、力を誇示する為の古墳の役割は終わった。曽我氏の律令制と大化の改新、それを確立させた藤原氏の大宝律令が浸透し古墳群は姿を消したのである。そして曽我氏の衰退は地方に武士を生んでいった。

瓦塚古墳

移設・遠藤家住宅

愛宕山古墳

二子山古墳

二子山古墳

将軍山古墳

将軍山古墳

稲荷山古墳

稲荷山古墳

同・埋葬跡

同・出土した鉄剣

丸墓山古墳

丸墓山古墳

同に続く忍城水攻めに作られた石田堤跡