日本の城跡
さきたま古墳群、
略史 5世紀後半から7世紀始め頃に作られた8基の前方後円墳と1基の円墳が残る大型古墳群。県名発祥の地、行田市大字埼玉(さきたま)にある。武蔵国造の地位に就いた曽我氏に近い笠原一族が築いたとも言われるが、不明確。このような墳墓は豪族の首長・王たちの力を示す為に作られたが、藤原氏による天皇制の確立、神の存在により、力を誇示する為の古墳の役割は終わった。曽我氏の律令制と大化の改新、それを確立させた藤原氏の大宝律令が浸透し古墳群は姿を消したのである。そして曽我氏の衰退は地方に武士を生んでいった。 |