日本の城跡

品川台場(第三・第六台場)


第三台場(忍藩警備)
訪問日 H31年 4月
ポイント 江戸末期に、8つの台場が建設された。第一台場は埋め立てられて品川ふ頭の一部に。第二台場は撤去され海中に。第三台場は現存。第四台場は一部埋め立てられ、天王洲の一部に。第五台場は埋め立てられ、品川ふ頭の一部に。第六台場は現存、レインボーブリッジ付近に。第七台場は撤去され、海中に。御殿山下台場は現在、品川区立台場小に。第三台場は周囲は石垣に囲まれ、その上に土手があり、中央が低い構造になっている。一辺が160mの正方形で、北側には石組みの船着き場跡があり、火薬庫・玉薬置所等の跡、中央には兵舎の礎石が残り、当時の痕跡が良く残っている。このように短期間で複数の海上砲台を完成させており、日本の土木工事技術が高レベルにあったことが分かる。
印象 念願の品川台場へ。レインボーブリッジに歩行者通路があるとのことで、お台場側から芝浦側に向かって歩く。初めてのことで興奮する。品川台場を上から見られ、中の構造等が良く分かった。短期間で築造したもので、城郭建築の集大成かも。東京川、千葉県側の景色が良く見られ、大満足!
地図
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略史  嘉永6年(1853年)、アメリカ艦隊来航に当たって海防の必要を認めた江戸幕府が築造した台場の一つである。無人島と化している第六台場とともに、大正15年に「品川台場」として史跡に指定された。当初計画では品川沖から深川沖にかけて11基の西洋式砲台を築く予定であった。設計者は韮山代官の江川太郎左衛門である。着工からわずか1年3ヶ月で5基(第一、二、三、五、六)が完成したが、残りは財政難から建設中止となった(第四は7割ほど完成)。代わりに陸上に御殿山下台場を建設した。

台場海浜公園(前方に第三台場)

お台場方面

第三台場方面


レインボーブリッジへの上り坂

レインボーブリッジからの眺望


同、遠く

第三台場への連絡路

第三台場



レインボーブリッジ歩行者通路

鳥の島

第六台場(松代藩警備)

第六台場

歩行者通路

お台場方面


同・東京湾入口方面

第六台場

芝浦方面

同・回転道路

貨物船が通過4

ブリッジ橋脚



回転道路


芝浦側のビル

第六台場

品川台場警備図