日本の城跡

佐渡奉行所・佐渡金山他

復元佐渡奉行所跡
訪問日 H25年 9月
ポイント 佐渡奉行は島内の民政を管轄する町奉行と、長安の時代に開発された佐渡金山はじめ金銀山の経営を管轄する山奉行があった。他にも海上警衛、年貢の取り立て、幕末には外国船の監視も行った。金山は1601年に北山で金脈が発見されて以来、江戸幕府の重要な財源となった。最盛期は年間400s、銀が40トン以上採掘され、世界最大級の金山であり、なかでも相川鉱山はその中心であった。鉱山の労働者は賃金も高く、周辺の街は大変賑わった。しかし江戸後期には坑道の延伸により労働力不足になり、江戸から大量の無宿人・罪人が強制連行され過酷な労働を強いられた。
印象 奉行所は復元されている。金山跡は観光用に整備され、当時の労働の厳しさが感じられた。そのほか佐渡の島内を観光したが、思ったより広い島であること、なんといっても美しい自然(夕陽・朱鷺等)が素晴らしかった。
地図
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略史  佐渡奉行は江戸時代の官職の一つで老中の配下。関ヶ原の戦いの後に佐渡は幕府の支配下になり、1601年に設置された。当初は佐渡代官と呼ばれたが、1618年に着任した鎮目氏から佐渡奉行と名乗った。陣屋は当初は鳴子に設置されたが、大久保長安のころ相川に移転され奉行所となった。また島内5ヶ所に代官所を置いた。
奉行所跡 相川金山跡
同大立竪坑 同精錬所跡 同道遊の割戸 七浦海岸夫婦岩・夕陽
小木のたらい舟 大野亀 二つ亀 尖閣湾の切りたつ岩 宿根木の街並
朱鷺 両津湾