日本の城跡
足利学校
略史 足利学校の創設は平安時代、又は鎌倉時代と言われるが、室町、戦国時代における最高学府であった。衰退していた学校を上杉憲実が再興し、鎌倉円覚寺の僧快元を招聘。教育は儒学を中心としたが、易学、兵学、医学を教えた。その後一時衰退したが後北条氏の保護を受け、学校を再興し3,000人の学生を抱える等盛況を迎えた。しかし秀吉の小田原征討で北条氏が滅亡し、経営は困窮した。その後徳川家康の庇護を得て再度復興繁栄したが、朱子学の官学化によって易学、兵学の当校は時代遅れとなり次第に衰退していき、学問というより古典書を所蔵する文庫とした存在になった。明治に入り足利藩校として復興を図ったが、廃藩置県により廃校になり危機に瀕したが地元の人々の活動で蔵書の散逸を防ぎ、図書の県立図書館への収納、敷地と孔子廟等建物が国指定史跡となり今日に至っている。 |