日本の城跡

阿曽沼城


唯一残る堀と土塁
 訪問日  H26年 3月
 ポイント  東西180m、南北230mの単郭。周囲を土塁と堀が巡っていた中世居館。
 印象  歴史的には由緒ある城であったが、今は神社と住宅地に改変、街の中に埋没。堀と土塁の一部が残り、わずかに城跡であったことが分かる。結構立派なこの土塁と堀がいつまでも残ることを祈る。
 地図  
地図をクリックすると拡大します

略史  平安末期、佐野氏一族の阿曽沼広綱が築城し、以後阿曽沼氏が代々居城した。広綱は源頼朝の挙兵の際、頼朝に叛旗を翻した叔父の志田義広との戦い、野木宮合戦で頼朝方として軍功を挙げ、その後の平家追討・奥州平定に従軍し、陸奥国遠野の地頭職に任じられた。子の親綱は承久の乱で功を挙げ、安芸国荒山荘の地頭職になる等鎌倉御家人として地位を確立した。阿曽沼氏の所領は遠隔地であったが、親綱は遠野・荒山にそれぞれ城を築き支配した。南北朝期には遠野・荒山などの庶流が本家から独立、本家の阿曽沼氏は小山氏政の台頭により阿曽沼郷を横領され、同族の佐野氏に仕えた。その後徳川時代に佐野氏が改易されたとき、阿曽沼城も廃城となった。

堀・土塁


土塁

城跡

浅沼八幡宮(城跡)