日本の城跡
堀田佐野城
(別称:堀田城・植野城)
城碑
訪問日
H26年 3月
ポイント
佐野駅前の佐野城とは全く違う城。東西540m、南北360m、周囲1,8Kmの規模で、土塁と堀で囲まれていた。城主格になったが、実質は陣屋造りである。
印象
城跡を見つけるのに苦戦。今は城碑と一部の堀と土塁が残る。平城の悲しさか、住宅と田畑等にほとんど改変され残念!
地図
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略史 1685年、大老堀田正俊の三男、堀田正高が兄の正伸から分知され佐野植野に立藩し、陣屋を構えた。その後近江堅田へ転封となり、陣屋は廃された。1826年、堀田正敦は堅田より佐野に移封され、陣屋を再構築した。正敦は寛政の改革で手腕を振るい、その功により加増を受けて城主格になり、陣屋も植野城に格上げとなった。その後も正衝・正頌と続き明治を向えた。
城碑
城跡
堀田神社(土塁跡)
城跡
水堀跡