日本の城跡

伊王野城(別称:霞ヶ城)

遠望
訪問日 H16年 7月、H25年11月
ポイント 三蔵川北岸の芦野丘陵の突端に構築された軍事、交通の要衝で自然地形を巧みに利用した堅固な山城。室町中期の豪族、那須七騎の山城の一つ。
印象 中世の典型的山城。前回は遠望のみであったので再訪。ここも3郭まで車で上がれた。三郭は結構広い、脇道から藪の中を突き進み、いくつかの郭を通り二郭へ。更に横堀に囲まれた横広の主郭へたどり着く。更に横堀を辿って北郭へ。この城も丘陵斜面を削平多数の郭を作り、土塁と縦横に巡らした横堀で固めた大きな城だ。
地図
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略史  伊王野館の住人、伊王野氏が築城。秀吉の小田原征討で主家の那須資晴が秀吉の怒りに触れて烏山から福原に減封され、伊王野氏も没落し伊王野城も廃城。徳川の世に入り伊王野氏は旧館に戻るも後継問題が幕府に発覚し断絶。
遠望 南に伸びる尾根筋の曲輪 三郭下の駐車場 三郭下の腰郭
三郭城塁 三郭南西の虎口 同を三郭内部より・三郭土塁 三郭 同・土塁
同・土塁 同・二郭への城塁 同北東の虎口
三郭下の腰郭 二郭への登城道 二郭下の腰郭
二郭 同土塁
同櫓台 主郭切岸 主郭横堀 同堀切
同堀切 同横堀 同横堀 同竪堀 同帯郭・竪堀
堀切 土塁 横堀 主郭
主郭より北郭方面 北郭間の堀切 北郭方面
横堀土塁 主郭切岸 横堀 主郭帯郭