日本の城跡
烏山城(別称:臥牛城)
略史 那須地方は古くから那須衆とよばれる一族が栄えていた。烏山城は戦国時代に那須資氏の次男沢村資重が築城、那須氏の拠点として勢力を伸ばした。しかし秀吉の小田原征討への遅参を咎められ所領を大巾に没収され没落。その後成田、松下、堀、板倉、那須、永井、稲垣氏とめまぐるしく藩主が交替、大久保常春が入封し定着した。又、その間に信長の次男信雄がわずか二ヶ月間、百七十万石の大名から二万石の烏山城主に転封されている。大久保治世に入り忠保の時、二宮尊徳仕法による財政再建策が講じられ、戊辰時は新政府軍に参陣して宇都宮城攻撃に出兵した。 |