日本の城跡

喜連川館

復興城門
訪問日 H16年 7月、H20年 9月、H25年11月
ポイント 喜連川城の東麓の高台に築城したが公民館等になり面影なし。徳川家は征夷大将軍として足利氏の伝統を継承したので、その末裔である喜連川氏を高家として遇し、十万石の格式を与えた。
印象 遺構は何もなし。残念。最近城門が復元。城門を見に訪問。城門をくぐって公民館。
地図
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略史  秀吉は小田原征討に際し、名門古河公方の血筋が絶えるのを惜しんで、小弓御所義明の孫国朝を古河公方義氏の女と結婚させ塩谷に領地を与えた。国朝は喜連川に居住し喜連川家を興した。国朝は朝鮮出兵で九州に赴く途中、安芸で病死した為、弟頼氏が家督を継いた。江戸時代は高家として十万石の格式で遇され明治に至るが幕末、本姓の足利氏に復している。
復興城門 陣屋跡(公民館) 喜連川城跡への登城口
陣屋跡