日本の城跡
茂木城(別称:桔梗城)
略史 宇都宮宗綱の次男八田知家は源頼朝の挙兵に際し勲功を挙げ、頼朝から茂木保の地頭職に補任された。知家は三男知基に茂木保の地頭職を譲り、茂木氏を名乗らせた。五代知貞の時、城が完成した。七代知世の時代に全盛で、戦国時代に宇都宮氏と共に佐竹氏と結び、後北条氏政と対抗した。豊臣期に後北条氏政に攻められ落城したが、後に佐竹義重によって城は奪回。しかし茂木冶良は佐竹氏の命により常陸小川城に移った為、茂木氏の400年の支配は終わった。関ヶ原の役後、徳川家康の命により茂木氏は佐竹氏らと共に秋田に移封となった。幕府代官支配後、細川幽斎の次男興元が秀忠に仕えて茂木城山麓に陣屋を構えて立藩した。城は廃された。興元は大阪の陣で酒井忠世に属して軍功を挙げ、加増を受け、陣屋を谷田部に移した。明治に細川興貫は藩庁を茂木に移して再度立藩した。 |