日本の城跡
武茂城
略史 鎌倉中期、宇都宮宗円七世の孫で宇都宮城主宇都宮景綱の三男泰宗が築城し、武茂氏を名乗った。四代綱家の時、宇都宮宗家に世子が無かった為、子の持綱が宗家を継いた。この為武茂氏は一時断絶したが、持綱の曾孫で一族の芳賀成高の子正綱が迎えられ再興、しかし正綱も宗家を継いだ為正綱の三男兼綱が領主となり武茂城を再構築した。武茂氏は那珂川対岸の那須家と後背の佐竹氏との領地争いに係わり、佐竹氏麾下となって那須氏と戦ったが、八代豊綱の時、那須氏への内応が疑われ遂に領地を常陸大賀村に移され、城は佐竹氏家臣の大田氏の居城となった。関ヶ原の役後、佐竹氏が秋田に移封されると共に武茂城も廃城となった。 |