日本の城跡
西方城(別称:西堀山城・鶴ヶ岡城)
略史 築城時期は不明だが、鎌倉中期に宇都宮景綱の三男の景泰が西方に分知築城したとも。その後、景泰の家系は西方氏と称し、宇都宮氏の西領を守る境の城の役目を果たした。戦国期には小田原北条氏が川越夜戦以後、北関東に進出、更に越後の長尾景虎が関東管領上杉憲政の要請を受け関東に出兵する中で、宇都宮氏は上杉・佐竹氏と同盟して北条氏に対抗した。戦国末期には隣国皆川氏が北条氏の攻撃を受け降伏、西方城も落城した。しかし、佐竹氏の支援を受けた宇都宮氏は皆川領に侵攻して西方城の奪還に成功した。豊臣秀吉の小田原征討の時、宇都宮氏は本領を安堵されたが、7年後突然改易され西方城は廃城となった。 |