日本の城跡
岡本城
略史 室町初期頃、宇都宮氏の重臣で芳賀氏の一族、岡本富高が築城した。富高は南北朝期争乱で駿河薩田山の戦いで討死、更に子の正高も叔父の芳賀禅可と、足利基氏と上杉憲顕間の越後守護職をめぐる争いに参戦し、基氏軍と武蔵若林で戦い敗れ討死した。こうして芳賀氏系岡本氏は途絶えたが、代わって塩谷氏系の玉生富武が入城し、岡本氏を名乗った。以後宇都宮氏を支えて活動するが、1597年に宇都宮氏は国綱の養子問題(浅野長政の子)で豊臣秀吉の勘気にふれ改易、連動して岡本氏も改易され、廃城となった。 |