日本の城跡
沢村城
略史 沢村城は鎌倉初期に那須与一宗隆の兄満隆が沢村を分知され築城した館(旧沢城)が始りという。沢村城は川崎城主の塩谷氏との境界から、領地争いの攻防が繰り返され、従来砦的役割を担っていた城山に城郭(後の沢村城)として本格的に整備されていった。鎌倉中期には塩谷氏に属する富田氏が在城していたが、富田氏の変心で那須氏が奪還した。その後暫く那須氏に属する福原勝馬が居城していたが、塩谷氏が氏家氏・宇都宮氏の支援を得て奪還を企て城を包囲した。しかし佐竹氏が介入した為、塩谷氏の家臣の娘を勝馬に嫁がせることで和睦した。室町初期、那須氏本家の那須資之と沢村氏を継いだ弟沢村資重が不和となり、上那須氏と下那須氏に分裂。資之は下那須の沢村城を攻撃、資重は沢村城を棄て、稲積城、そして烏山城を築城して移った。この争いで平城の旧沢城は潰滅した。その後沢村城は再度、塩谷氏の攻撃を受け落城、以後120年に亘り塩谷氏の支配が続いた。しかし戦国末期に宇都宮氏との戦いに那須氏が勝利し、沢村城を完全に支配した。豊臣秀吉の小田原征討で那須氏は参陣を拒み改易となり、沢村城は廃城となった。 |