日本の城跡

轟城(別名:畠山重慶城)

虎口(近年切断もの)内部より
訪問日 H25年 4月
ポイント 城は鬼怒川と大谷川に挟まれた地にあり、鬼怒川右岸に発達した河岸段丘のうち最も高い段丘上にある。80m四方の方形の館で2m程の土塁に囲まれている。土塁の東南部は直下の梅ヶ沢まで20mほどの急崖となり、北東部は下の段丘面まで20m程急斜面になっている。平地と連続する北西部と南西部には、幅3から4m、深さ2から3mの水堀を巡らしている。典型的な中世地方豪族の館跡。
印象 民家の脇に案内あり。入っていくと、何の変哲もない林。ここに城跡があるのかと疑っていくうちに、なんと土塁・虎口(近年切断もの)が忽然と現れびっくり。更に水堀に囲まれていた。石橋の橋を渡り入る。周囲は高さ2m程の土塁でしっかり固めていた。沢の水と小川を上手く引き入れた水堀、水堀からの土塁は高く、急傾斜である。どんどん嬉しくなって夢中で歩き廻った。藪が半分くらい覆っており、残念だったがどっしりとした城だった。
地図
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略史  鎌倉幕府の御家人、畠山重忠の末子・重慶の館。1213年、日光山別当弁覚が重慶が謀反を企てていると鎌倉に通報、将軍源実朝は長沼宗政に逮捕を命じたが殺害された。その時点で館は廃城になったが、戦国時代に宇都宮氏・壬生氏らが今市を巡って争っており、轟城も利用されたようだ。
入口 南西の虎口(近年切断もの) 右側水堀
同土塁
左側水堀 同土塁 郭内 同(北西の虎口方面) 南西の土塁
同土塁の切れ目(虎口?)
北西の虎口
同石塁跡 北西の水堀 同虎口土塁
同土塁 土塁
北隅櫓台
北東土塁(水堀側) 同(郭側)
同土塁 南東の土塁 同下の梅ヶ沢 同下の腰郭・堀
南東土塁脇の井戸跡 そこからの郭内 南隅櫓台
同下の水堀 南西側の外郭
南西虎口に架かる石橋
水堀に注ぎ込む沢