日本の城跡

荒砥城(別称:山田城・砥沢城)


二郭櫓門
訪問日 H27年 5月
ポイント 荒砥城は眼科の谷あいを千曲川が流れ、千曲川沿いに上田方・小県面と川中島・更科を結ぶ北国街道がはしる交通の要衝。対岸には村上氏の本城・葛尾城が睨む。城は麓から五郭・四郭・三郭・二郭・主郭と階段状に連なる、中世山城の代表的な連郭式山城
印象 ”ふるさと創生事業”により史跡公園として整備されている。NHKの大河ドラマの撮影場所ともなった。規模は小さいが石垣・門・櫓等が復元されており、たぶんこんなものであろうと戦国の当時の雰囲気が感じられた。城から対岸の葛尾城や眼科に流れる千曲川を見ると、当城の重要性が感じられた。信濃の山深い風景も良し。
地図
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略史  荒砥城は大永四年(1524)、この地を治めていた村上氏の一族の在地豪族山田氏が築城。しかし武田晴信の侵攻に対し、葛尾城の村上義清と共に上田原や戸石城で戦ったが、戸石城の戦いで荒砥城主山田国政が、葛尾城合戦で子の山田国継が戦死して山田氏は滅亡した。その後荒砥城は屋代氏の持城となったが、武田氏滅亡後、屋代氏は上杉景勝に属し海津城の副将を命じられ、荒砥城は清野・寺尾‣西条氏ら在地豪族の城番管理となった。徳川家康の関東入部に伴う勢力侵攻で、屋代氏は家康に内応し荒砥城に籠城した。しかし上杉氏の猛攻で城は落城、屋代氏は家康を頼り敗走、城は廃城となった。屋代氏は徳川の旗本として近世まで存続した。

登城坂・石垣

城址碑と案内所

三郭

三郭付近からの櫓

二郭櫓門

二郭から千曲川・北国街道

二郭桝形

二郭兵舎

主郭への冠木門

主郭櫓門

付近から二郭方面

主郭桝形

主郭へ

二郭兵舎・櫓

主郭兵舎・館

四郭

付近から四郭

遠望