日本の城跡
荒砥城(別称:山田城・砥沢城)
略史 荒砥城は大永四年(1524)、この地を治めていた村上氏の一族の在地豪族山田氏が築城。しかし武田晴信の侵攻に対し、葛尾城の村上義清と共に上田原や戸石城で戦ったが、戸石城の戦いで荒砥城主山田国政が、葛尾城合戦で子の山田国継が戦死して山田氏は滅亡した。その後荒砥城は屋代氏の持城となったが、武田氏滅亡後、屋代氏は上杉景勝に属し海津城の副将を命じられ、荒砥城は清野・寺尾‣西条氏ら在地豪族の城番管理となった。徳川家康の関東入部に伴う勢力侵攻で、屋代氏は家康に内応し荒砥城に籠城した。しかし上杉氏の猛攻で城は落城、屋代氏は家康を頼り敗走、城は廃城となった。屋代氏は徳川の旗本として近世まで存続した。 |