日本の城跡

飯山城

本丸桝形虎口
訪問日 H15年10月
ポイント 千曲川を背にした断崖の上に、本丸・二の丸・三の丸と並ぶ梯郭式平山城、後ろ堅固の城である。千曲川の反対側に36あるといわれる寺が城の防衛の役目を果たしている。飯山は信濃と越後を結ぶ交通の要地で、信濃でありながら越後色が濃い。豪雪地帯で昔は交通も途絶え、攻めるに難く、守るに易い要衝であり、独特な文化も育んでいる。
印象 城山公園になっている。土つくりを基本としているが本丸周辺は総石垣に近く、苔むして見ごたえある。城門が復元されている。体育館で弓道大会があり城山の雰囲気ぴったりだ。長野盆地の一番奥にあり、冬は雪も多くとざされたが、日本赤十字病院もあり歴史を感じる町であった。平穏な江戸時代だったらしい。予想以上の城下町だった。
地図
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略史  飯山城は北条氏に追われ逃れてきた泉氏の館であった。戦国時代に上杉謙信が武田信玄の奥信濃侵攻に対し、春日山城の防衛と信濃出陣の基地として本格的城郭に改修。その後豊臣秀吉の支配となったが、関ヶ原後松平忠輝が領有、傳役の皆川広照が入城した。広照は忠輝の不行跡を家康に訴えた為除封、以後堀、佐久間、松平、永井、青山氏と入転封後、本多氏が明治まで在封した。その間千曲川の水害、善光寺平地震等で財政は逼迫、たびたび一揆が勃発した。戊辰時幕府残党の反乱で城下は戦火にさらされたが、松代・新政府軍の来援で鎮圧した。
千曲川から見る
水堀[駐車場)石垣
堀から三の丸方向
復元城門
本丸へ
本丸
本丸櫓台を
本丸櫓台
二の丸から本丸櫓台を
二の丸から本丸を
二の丸から桝形を
本丸桝形虎口
本丸桝形石垣
本丸石垣と二の丸
二の丸
二の丸土塁と三の丸
三の丸
三の丸から二の丸を
三の丸から千曲川
本丸土塁と二の丸
石細工