日本の城跡
春日城(別称春日丘城・伊那部城)
略史 天文三年(1534)、平家の末流で粟田重吉の後裔の伊那部重慶が築城。後継の重成は嫡男の重親を春日城主とし、次男の重国は分家させ、伊那の東春近に殿島城を築城させた。しかし武田信玄が信濃に侵略、信濃守護小笠原氏と対決したが、他方伊那地方へも兵を進め高遠城主・高遠頼継と戦った。この時春日氏はじめ伊那衆は高遠氏に与したが、武田軍に敗北し高遠城は落城、伊那衆は武田方に服従した。その後武田・上杉氏の第二次川中島合戦で両軍が対峙している隙に、春日氏を筆頭とする伊那衆が武田氏に叛旗を翻したが、結局武田軍に平定され春日重親・重国兄弟は処刑され、春日城は高遠城の支城となり武田氏の支配下に置かれた。その後武田氏は長篠の合戦で敗北後勢力は落ち込み、織田信長の信濃侵攻で果敢に抵抗した高遠城が落城、春日城も運命をともにし、廃城となった。 |