日本の城跡

百瀬陣屋


藥医門
訪問日 H27年 5月
ポイント 陣屋は間口5間、奥行3間で茅葺屋根であったが、近年瓦葺に変わっている。屋敷地は土居と桝形に囲まれていた。
印象 なかなか見つからず、隣接する立派な門構えのある料理屋を陣屋跡と間違えるとこだった。再度周辺を探り、ようやく陣屋門のある屋敷を発見した。わずかに門と一部の土塁と屋敷が残っていたが、その外は近年、アパートや住宅に開発されていた。現在も末裔の方がすんでおり、遠慮がちに周囲から覗いた。
地図
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略史  1657年、高島藩諏訪氏の弟が、内田・赤木の千石余を分知され、旗本諏訪氏百瀬陣屋の始まりとなった。当初は内田に代官所が置かれたが、赤木山の入会の山論が起こった為、所領変更となり、瀬里村・竹渕村・白川村と百瀬村の一部を知行地となり、当地に代官が置かれた。当初代官は三井氏がなったが、その後萩原氏と近藤氏が交替で務めた。しかし近藤氏が御用人格兼代官となり明治まで続いた。

陣屋

同屋敷


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