日本の城跡

赤館

北側虎口跡・前方の高みは櫓台跡か
訪問日 H25年11月
ポイント 赤館は棚倉町の北端の上台の鹿子山にあり、久慈川の河谷が一望できる軍事交通上の要所である。総面積が3万坪程の大規模城郭で、主郭なども広く天然の要害である。主郭の南に伸びる尾根を段々に切り開き、麓を根小屋とした。他方、北に対しては大規模な空堀を穿ち、尾根続きの弱点を補完して北からの脅威に備えている。
印象 寺山城で精力をかなり消費した為、山頂の主郭まで車で登城す。公園化され、主郭は綺麗に整備されているので、城郭らしさはないが、、そこから南下を見ると結構急崖の所に、帯郭・腰郭が固めていた。更に北側に行くと、郭があり、横堀・竪堀・堀切・土塁等がそこここにあり、山城を意識させた。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  鎌倉初期、赤館は伊達氏の飛び地であったが、文明年間(1469頃)は白川結城氏の一族の赤館氏が居住した。戦国時代には佐竹氏が勢力を伸ばし、東館・羽黒館や赤館以南の九南郷館を支配した。戦国末期には芦名盛氏が赤館を再構築、結城晴綱らと連合して佐竹義重と戦った。その後再三にわたり、両軍の間で赤館をめぐり激戦が繰り広げられた。しかし豊臣秀吉の奥州仕置により白川結城氏は改易となり、棚倉一帯は佐竹領となった。関ヶ原の役後、佐竹氏は秋田に転封となり、棚倉は天領を経て立花宗茂が入封し赤館城主となった。その後丹羽長重が城主となり、平城の棚倉城を築城、赤館は廃城となった。
遠望 主郭西側虎口跡
主郭 同南側虎口 主郭南部分 同下の急崖 同下の郭群
主郭北部分 主郭横堀
同と主郭切岸 主郭北側谷筋 同空堀 同北側腰郭
同・土塁 同腰郭空堀 同腰郭土塁 同土塁・空堀 同切岸
同空堀 同土塁 同石塁 主郭立堀
主郭東側切岸 主郭から棚倉の街並みと寺山城方面