日本の城跡
白河の関
(別称:関の森遺跡)
関碑
訪問日
H7年 5月
ポイント
大和朝廷の実質的支配の北限。奥州藤原氏の領土の境。”白河の関を越える”
印象
平野部にあり、特に険しい道を塞いでいる訳でもない。箱根や碇ヶ関、安宅関といったイメージではない。防衛の拠点であろう。
地図
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略史 白河の関は蝦夷南下の防衛や交易、通行の検問などを目的としていたが、軍団が設置されており防衛の拠点としての役割が大きかったと思われ、5世紀から12,3世紀まで機能したと見られる。太平洋側の勿来関、日本海側の念珠関とともに奥羽三関といわれていた。
空堀・土塁
同
遠望