日本の城跡

棚倉城(別称:亀ヶ城)

本丸水堀・土塁
訪問日 H8年 5月
ポイント 関東の入口を固める為名築城家丹羽長重に近代的城郭築城を命じる。関東、東北地方に多い土居造りで石垣は殆んどない。土居の規模、堀の幅は壮大。長重はこの後白河小峰城、二本松城を構築する等奥州の名城を築城した。
印象 幅広い堀、がっしりとした土居が残る。桜の季節だったので余計に水堀が印象てきだった。亀ヶ城と言うのは堀に亀が沢山いた為。
地図
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略史  立花宗茂、関ヶ原の敗戦で柳河から棚倉の北辺にある赤館に移封立藩。転封後家康は茨城街道の要衝、赤館の近くに関東の入口を固める為、丹羽氏に近代的城郭の築城を命じた。丹羽氏が白河に転封後内藤、太田、松平、小笠原、井上、松平氏と譜代大名が左遷の地として頻繁に交替し、幕末安倍正静が入封した。戊辰時奥羽越同盟に加盟し白河口で新政府軍と戦火を交えた為棚倉城が攻撃され、城に火を放って潰走した。この時の逃げっぷりがあまりに見事なので”会津いのしし仙台むじな、安部の兎がよく逃げた”と皮肉られた。
本丸水堀・土塁
本丸・追手桝形門
本丸・追手門・土塁