日本の城跡
保土原館
土塁・郭
訪問日
H7年12月
ポイント
須賀川城の詰城として機能。
印象
公園として整備され、城郭の雰囲気はほとんどない。
地図
地図をクリックすると拡大します
略史 鎌倉初期、源頼朝の奥州征伐で軍功を挙げた二階堂行政は、岩瀬郡を賜った。7代子孫の行朝は南朝方として陸奥国府多賀城の評定衆に任ぜられた後、当地愛宕山に築城した。100年後二階堂為氏が岩瀬郡に下向し、入城に反抗する代官を滅ぼして入城した後、城を現在の市街地に移して整備した。以後当城は須賀川城の詰の城として、保土原氏が居住した。
案内
虎口
池
主郭
郭