日本の城跡

陣ヶ峯城

二重土塁
訪問日 H24年 7月
ポイント 12世紀の城館遺構が残る貴重な遺跡。旧越後街道沿いの会津盆地西端周辺を見渡せる高台に立地する。東側は断崖で、南・西・北の三方を深さ20mの二重の空堀が巡っている。ちなみに奥州藤原氏の居館とされる平泉の柳之御所遺構からもこの二重の堀が見つかっており、奥州における一種のステータスシンボルと見る向きもある。
印象 主郭に公民館があったが休館しており、その周囲は現在は畑、果樹園になっている。なんとなく寂しい。一方は断崖で、陸続きの三方は深く大きな二重の堀で固めている。夏草で形状がいまいちはっきりしなかったが、見事な堀だ。それにしても平安末期に造られた堀が、現在でもしっかり残っていること自体が奇跡と言えよう。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  平安時代末期の12世紀、武士の台頭と共に、比叡山や興福寺といった寺社も武士団を抱えた。会津では磐梯町の恵日寺が3千人の僧兵を擁し、実質的に会津を支配下に置いていた。その頭として越後の城氏がおり、城氏は会津に支配地を持ち、陣ヶ峯城はじめ8つの館を築いた。また一説では蜷川荘の範域にあって藤原摂関家の治める荘園であり、この藤原家と結びついていた有力者の館ではなかったかともいわれている。
虎口 同左側堀 同左側二重堀 同右側堀
同右側堀
主郭
主郭
東側断崖
主郭土塁
左側二重堀
同土塁・堀切
同土塁
右側二重堀 左側外堀
東側からの遠望