日本の城跡
長沼南古館
堀・土塁跡
訪問日
H25年11月
ポイント
長沼から江花川に沿って西進すると、藩政時代に会津・村上・新発田の藩主が江戸への道、江戸街道の勢至峠があるが、この峠の登り口の江花という集落の近くに館がある。館は不正四角形の単郭で、江花川流域の傾斜地にあり、西北が高く、東西が低い。館の周囲には9m程の堀が巡り、その土を利用して土居を造った。更に東南隅の外側に土手を築いて傾斜地の欠点を補い、水位を上げ北古館同様に貯水池としていた。
印象
田の中に土塁・堀跡が残っていた。結構広い規模をもった館跡だ。いつまでもつかが心配だが、良く残ってくれたとの印象。遠くに長沼城が見える。
地図
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略史 小山一族は源頼朝の奥州征伐に従軍し、軍功を挙げたため小山朝政の弟宗政は、会津の長江荘と岩瀬郡の西方に領地を与えられた。宗政は文応元年(1260)長沼に築城、長沼氏を称した。正和三年(1314)、宗政から三代目の孫宗秀がこの地に下向して南古館に住んだ。後に北古館を築いて移った。戦国期の芦名氏の時代には、長沼城の家臣が居住した。
古写真
堀・土塁跡
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土塁石塁
堀・土塁跡
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郭内
江花川方面
北古館付近から南古館方面