日本の城跡

小浜城(別称:下館)

本丸方面
訪問日 H8年 4月
ポイント 大内定網は北に伊達、南に蘆名氏と言う強豪に挟まれ、生き延びる為に懸命にもがいた城。結局大内氏は伊達政宗に破れ、輝宗が入城したが二本松城主畠山義継が投降を許された御礼に参上した際輝宗を逆に人質にとった事件が起きている。
印象 桜が綺麗に咲き誇っていた。草むした石垣の一部が残る。麓の駐車城でパンクして困っていたら近所の奥さん方に助けてもらって好印象。
地図
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略史  大内定網は大崎家から石橋家の臣下になりこの地に築城。定網は宮森城主の大内氏、更に主家の石橋氏を滅ぼして塩松地方を掌中におさめた。しかし伊達氏、蘆名氏の間を帰服換えを繰り返す大内氏に怒った伊達氏に攻撃され蘆名氏を頼って落ち延びた。その後政宗の父輝宗が入城したが畠山氏の人質になっている。奥州仕置後蒲生氏の領有となり城代を置いたが後、廃城となった。
本丸石垣
同土塁
本丸より