日本の城跡
堀越城
(別称:堀越楯)
熊野神社・追手口
訪問日
H6年 4月
H13年11月
ポイント
大和沢川と平川の氾濫堆積物による沖積地に立つ 平城。津軽藩成立時の経緯を知る上で重要な城。
印象
はじめは国道から城跡かなと思い遠方から。二度目は堀越城と確認し行く。津軽家の由緒ある城とのことで規模は大きくないが比較的土塁・堀等残り興味深かった。発掘調査中。
地図
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略史 平賀郡岩楯の地頭、曾我光貞が築城。光貞は南朝方の論功に不満を持ち足利尊氏に転じ、津軽地方の南朝方を攻略する拠点としたが南部氏に滅ぼされた。久慈城主信義の異母弟弥四郎は仲違いから津軽に逃れ大浦氏の養子になり為信と称した。為信は津軽統一を目指し南部高信を滅ぼし統一の基礎を作った。そして秀吉に所領安堵され拠点を支城の堀越城を拡張して移った。津軽藩の藩庁として栄えたが弘前城築城、一国一城令で廃城に。
縄張り
二の丸
発掘調査中・二の丸
遠望
遠望・春
本丸
二の丸