日本の城跡

胆沢城 (別称:方八丁)

城碑
訪問日 H5年 7月、H22年 8月、H29年10月
ポイント 律令国家が東北経営の前進拠点として多賀城から更に北進させ鎮守府を置いた城、官衙跡。 
印象 城としての雰囲気は感じないが京から遠い東北の地に来て緊張したろうな、と思い感じた。あやめが綺麗に咲き誇り、又稲の干し方が面白かった。 再訪。前回訪問時、写真が撮れなかったので行く。その後の変化なかった。
地図 i
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略史  多賀城にあった鎮守府を移した。蝦夷の抵抗が激しかった地で坂上田村麻呂が征夷大将軍に任ぜられ平定した。藤原氏が平泉に居を構えた以降鎮守府としては形骸化した。田村麻呂はその後更に北進し志和城を築き、征夷大将軍文室綿麻呂により徳丹城が構築された。
 鎮守府八幡神社・城内
城内・堀
八幡神社鳥居・城碑
城内・稲刈取り
城内・花菖蒲

政庁模型

以下政庁跡

リンゴ

前方に鎮守府八幡神社