日本の城跡
衣川柵
(別称:並木屋敷)
柵跡
訪問日
H22年 8月
ポイント
周囲が桜並木に囲まれていた為、並木屋敷と呼ばれていた。安倍氏時代には柵と呼ばれる防衛施設はなく、清原氏時代になって衣川柵と称されるようになった。
印象
原っぱになっている。案内板と石碑のみ。土塁が一部残っているとのことだが分らなかった。
地図
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略史 永承元年(1045)頃、安倍頼時がこの地一帯に本拠を構えたが、衣川の東の地域に安倍貞任が撤退するまで18年間、安倍氏の政庁を置いた。その後安倍氏に代わって奥六郡を支配した、清原武則・武貞・真衡の三代の政庁、居館が20年続いた。