日本の城跡

厨川柵 (別称:安倍館

館・堀
訪問日 H6年11月
ポイント 日本最北の古代柵。北上川に面し、10mの断崖上に建つ。但しこの柵は広範囲に及び、近年は天然の要害であった河川の痕跡が発見された天昌寺を中心とする”天昌寺台地が中心とみられ、安倍館町の柵とともに一連の柵を形成していたらしい。
印象 空堀が残っていたが宅地化され、いまひとつ雰囲気が感じられなかった。 北上川の方から見るべきだった。 天昌寺周辺には次の機会に廻って見たい。
地図
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略史  安倍氏の柵。源頼義、義家父子は出羽の清原氏の助勢を得て安倍貞任が拠る厨川柵を攻略した。貞任と一族は鳥海柵、黒沢尻で敗北し最後の厨川柵に集結し立て篭もった。最初は寄せてに多大な損害を与えたが空堀を埋められ火責めにあい、終に陥落、これにより前九年の役が終わった。
堀・土塁
天昌寺