日本の城跡
岩出山城
(別称:臥牛城)
本丸・城碑
訪問日
H5年11月
ポイント
伊達政宗は秀吉の小田原征討に遅参した為、会津から米沢へ、更に一揆平定後旧葛西、大崎領へ飛ばされ、旧城を修築し10年在城。しかし舌状丘陵にあり城地、城下が狭く、北に偏っていた為仙台へ。伊達氏一門の城。
印象
伊達政宗の居城にしては規模が小さい。遺構も寂しいかったが、麓にある郷学有備館は印象深かった。岩出山納豆が美味しい。
地図
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略史 氏家氏は北朝方の斯波氏(大崎)が奥州探題として下向した時随行、以後大崎氏の重臣となり岩手沢城を築城した。その後大崎氏と対立したが秀吉の奥州仕置で大崎氏と共に滅亡。葛西・大崎一揆、九戸の乱の後伊達政宗は葛西・大崎領に所領替えを命じられ、蒲生氏郷と政宗の領界裁定で岩手沢に滞在していた徳川家康の計らいで廃城になっていたこの城を修築、名を岩出山と改め居城した。仙台に移転後は四男宗泰が入城し、一国一城後も岩出山要害として明治まで続いた。
腰郭・伊達政宗公像
城塁
居館
二の丸の断崖
二の郭手前の堀切
以下有備館
内川・堀