日本の城跡
岩切城
(別称:高森館)
搦手にある城碑
訪問日
H7年11月
ポイント
仙台平野を一望、多賀城も眼下におさめる。湊浜に通じる七北田川が南麓に流れ、仙台、多賀城、塩釜、利府に走る道路が交錯する政治、経済的重要地。一時国府を多賀城から移している。曲輪が連続する連郭式山城で深い谷、濠、土塁など天嶮に人工の防塁を調和させたまれに見る要害。
印象
大規模な中世城郭。天然の地形に空堀で遮断し郭を作る等うまく利用している。ゆっくり見て廻りたい城だ。今は桜の名所、ハイキングコースになっている。
地図
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略史 留守(伊沢)氏代々の居城。頼朝に仕え奥州征討後陸奥国留守職に任ぜられ多賀国府に着任。鎌倉幕府滅亡後北畠顕家が陸奥守として着任したが2年後南北朝の争乱時代に突入、更に足利氏の兄弟対立も東北武士に波及し二派に分れ対立、岩切城が舞台となった。この合戦で負けた留守氏は没落、大崎氏に従った後勢力を拡大した伊達氏の被官となり伊達氏から入嗣を受け入れ留守氏を守った。居城を利府城に移した為廃城。
遠望
主郭方面
谷・主郭方面
深谷
東の郭
遠望