日本の城跡

多賀城(別称:多賀柵)

築地塀
訪問日 H5年 9月
ポイント 東北地方の平定、開拓の拠点として築かれた城柵で、古代から南北朝期にかけて陸奥の国府が置かれた。
印象 長年かけて発掘調査をしており、その全容が染み出してきている。楽しみだ。規模は大きい。築地塀は厚く、崩れた塀を見ていると昔の人の顔が浮かんでくるようで印象的だった。
地図
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略史  奈良時代、大野東人が造営、国府が置かれた。前九年・後三年役には源頼義、義家が多賀城を拠点に乱の鎮圧にあたり、頼朝は奥州征伐の際立ち寄り、征伐後ここで陸奥国に対する統治方針を決定した。鎌倉時代には陸奥国留守職が置かれ、建武中興の時は北畠顕家は義良親王と共に下向し国府を再興。南北朝期には国府争奪をめぐり南朝方と足利方で激しい攻防を繰り返したが奥州探題の斯波氏が大崎地方を本拠とした為使命を終えた。
案内
城碑・政庁正殿
築地塀
政庁復元図
政庁正殿
同南から
廃寺