日本の城跡

鵜ヶ崎城(別称:岩沼要害・武隈館)

城祉公園入口
訪問日 H6年11月
ポイント 奥州街道の通じる交通の要衝、更に仙台城と白石城を結ぶ地点で軍事的重要地点。
印象 東北本線の敷地や土取り工事の為遺構は全くなし。このようにJRの本線が無神経に城跡を分断している所が全国的に多いのは残念。
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  953年頃源重之が築城したとの事だが不明。海道、山道の分岐点で奥州街道が通る交通の要衝。伊達氏の家臣、泉田安芸が城主になってから史実に登場。その後石田、遠藤、屋代、奥田、伊達、古内氏が入城した後、田村家の養子になった仙台藩主伊達忠宗の三男宗良が伊達氏の分知大名になり宗家藩主綱村の後見となった。その後子建顕の時一関に移り岩沼藩は廃藩。次に古内氏が再度入城し明治に至った。戊辰時白石城と仙台城の中間にある為良く利用された。
遠望
主郭
切岸状の城塁
近隣の横穴