日本の城跡
涌谷城
(別称:涌谷要害)
模擬天守・二層櫓・土塁・石垣
訪問日
H6年 3月
ポイント
江合川の左岸に沿って細長く伸びる丘陵上にある。一国一城令で要害といったが完全な城郭。居館は平屋でいわゆる天守はない。本丸表門脇の二層の隅櫓を太鼓堂といった。
印象
江合川の浸食で急崖になっていたと想像できる。しかし他は公園、神社等でかなり改変されており、更に全国的によくあるが、資料館とはいえ無かった天守が堂々と建っているのは如何なものか。
地図
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略史 奥州探題の大崎氏が支配し家臣の涌谷氏が領治した。しかし大崎氏の滅亡で涌谷氏も滅亡、葛西、大崎一揆平定後伊達領になり家臣の亘理氏が入城し近世的城郭に修改築した。亘理氏は移封後新田開発に努め、伊達姓も許され伊達一門として四代重宗のころには石高二万二千石に達したが、開発に伴う知行地の登米伊達氏との境界争いを起こし、いわゆる伊達騒動の一因となった。
模擬天守・太鼓櫓・石垣
太鼓櫓・土塁
二の丸土塁・河合川
涌谷神社・本丸土塁
城碑・本丸