日本の城跡
長谷堂城
(別称:楯山・亀ヶ城)
主郭
訪問日
H29年10月
ポイント
城は山形盆地と米沢盆地を結ぶ小白府街道や孤越街道の要所にあり、置賜の上杉氏に対する重要拠点であった。標高230mの小規模な独立丘陵に構築されているが、頂上の主郭から城内各所への見通しが良く、主郭を頂点とした統一的な指揮系統が組織できた。城の周囲は水田・湿地に囲まれ、山腹には、曲輪・横矢掛り・切岸・土塁・堀などが効果的に配置され、小城に似合わぬ堅い防御構造になっていた。
印象
公園化している。山頂の主郭を中心に段郭で構成。大河ドラマの舞台になって整備されたようだが、今回は藪などでかなり見ずらくなっており、横堀はあるが、竪堀・堀切・土塁等きびしい防御設備は一見分からなかった。しかし城山の周囲は湿地で、水堀で囲む総構えのうえ、城山全体を巧妙に防御したとしたら、難攻不落であったろうと想像した。登城途中にシャガが多かったが、坂を登る敵兵が滑る為植えてあるとのこと、これも工夫だ。
地図
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略史 伊達の文書に1514年、最上氏と戦って長谷堂を陥すとあり、この頃には城塞があったと思われる。長谷堂城は、最上氏の山形城の前衛基地として、1600年の上杉方直江兼続が山形城を目ざした所謂、出羽の関ケ原の時、当城の城主志村光安は大軍を相手に良く持ちこたえた。直江氏は関ケ原での西軍の敗報を受けて撤退、この功により志村氏は酒田東禅寺城となり、代わって坂光重が城主となったが、最上氏の改易に伴い廃城となった。
遠望
復元された水堀
八幡崎口
八幡神社
同
帯曲輪群があるらしい
急崖
本城へ
土塁・堀
切岸・シャガ
曲輪・シャガ
曲輪・シャガ
主郭へ
主郭下の帯曲輪
帯曲輪
帯曲輪
主郭切岸・帯曲輪
主郭切岸
主郭虎口・稲荷神社
主郭
城碑
主郭
主郭からの眺望(山形盆地)
主郭下の曲輪・切岸
同
同の段郭
同
主郭下の曲輪
同曲輪
春日神社
春日神社参道
同
曲輪
帯曲輪
同
同から主郭切岸
主郭切岸
腰曲輪