日本の城跡

上山城(別称:月岡城)

   模擬天守
訪問日 H7年 6月
ポイント 上山は山形盆地の最南端で置賜地方に接し宮城県白石にも通じる交通の要衝。土岐氏の代までは三層の天守と二層の隅櫓を有する堂々たる近世城郭であったが土岐氏の転封に伴い幕府によって天守閣を取り壊された。小藩に似合わぬ威容と看做された為。 
印象 東北有数の温泉地、上山の市街地にある。折角の復興天守も観光の重要な一役を担っており史跡としては薄く感じられるのが残念だ。
地図
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略史  虚空蔵山の高楯城の小簗川貞伴を武永義忠が滅ぼし、この地に城を移す。武永氏は最上一族であったが満兼の時伊達輝宗と組んで山形に攻め入っている。しかし最上義光は満兼の家臣に満兼を暗殺させ上山城を領し、関ヶ原の役の際には上山城に襲い掛かる上杉家の直江軍を打ち破る戦果を挙げている。最上氏改易後、松平重忠が横須賀から入封、立藩した。その後土岐、金森氏等小藩主が入れ替わったが備中庭瀬の松平氏が入封、定着した。戊辰時奥羽越同盟に参加して降伏。
天守から本丸・二の丸を見る 二の丸 土塁・空堀