日本の城跡
新庄城(別称:沼田城・鵜沼城)
略史 新庄城は戦国末期、在地豪族の日野氏により築城されたが、日野氏は最上氏の配下となり、「最上四十八館」の一つに数えられた。江戸時代初期、内紛により最上氏が改易されると、常陸松岡から当地方に戸沢政盛が転封され、真室鮭延城に入城した。しかし鮭延城は狭く不便なことから、政盛は幕府に新城の築城を申請し許可を得た。政盛は廃城になっていた新庄の地に、義兄の山形城主鳥居忠政の縄張りにより築城を開始し、1625年に完成をみた。戸沢氏は二代正誠が、お家騒動を乗り切り藩政を確立し、外様ながら譜代の格式を得て、明治まで在城した。戊辰時、新政府側につき庄内藩を攻撃したが、逆に猛攻をうけて城下は焦土と化し落城した。 |
本丸・護国神社 |
本丸・南門 |
本丸南門跡・土塁 |
二の丸と本丸間の水堀 |
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本丸表門方向・土塁 |
南東隅・武器櫓台 |
南側水堀 |
二の丸跡 |
二の丸跡 |
二の丸跡 |
東側水堀 |
同 |
本丸から三の 丸方面
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本丸表門石垣 |
本丸表門石垣 |
武器櫓跡 |
天満神社 |
南西隅・天満神社 |
西側土塁 |
西側水堀跡 |
西側水堀跡・土塁 |
同水堀跡と土塁 |
大納戸櫓跡・北側水堀跡 |
北門跡と土橋 |
土橋脇の用水路 |
北側水堀 |
同 |
北東隅・小納戸櫓跡 |
本丸内・藤嵐閣 |
本丸御物見跡 |
本丸内北部 |
戸沢神社 |
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