日本の城跡
厳島神社・勝山城
略史 古代より島そのものが神として信仰の対象であった。六世紀後半の推古天皇の時代、有力豪族の佐伯鞍職が社殿造営の神託を受け、勅許を受けて御笠浜に社殿を創建した。平安末期に平家一族の崇敬を受け、12世紀後半に平清盛が現在の社殿を造営した。平家の守り神として栄えたが、平家滅亡後も源氏をはじめとした時の権力者の嵩敬を受けた。戦国時代に社勢は衰退したが、毛利元就が厳島の戦いで勝利し一帯を支配下に置き、当社を嵩敬するようになり再度隆盛した。その後豊臣秀吉も九州征伐の途上で当社に参拝し、大経堂を建立している。明治に入り、国幣中社に、次いで官幣中社に昇格している。厳島神社の南方の小丘上、現在多宝塔が建っている辺りに勝山城跡がある。当城は戦国期に北九州、西中国に勢力を伸ばしていた大内氏が、安芸侵攻の拠点として築城した。戦国末期の厳島合戦に、一時は陶晴賢の居所となっている。宮島には他に、毛利元就が陶氏に対抗すべく築いた宮尾城が宮島桟橋の後方の台地にある。 |