日本の城跡
安芸亀居城(別称:小方城)
略史 関ケ原の役で東軍に与した福島正則は、防長に改易された毛利氏の監視、封じ込め政策から、安芸・備後の大名として封じられ、広島城に入城した。正則はまず領国の抑えとして小方・三次・東城・三原に支城を築城することとし、小方に甥の福島伯耆を配した。伯耆は3年後の慶長八年から築城を開始し、5年後に完成したが、伯耆はその前年に死亡、山田・森氏が城番として入城した。しかし完成間もない3年後に、徳川幕府の圧力により廃城の憂き目を見ている。更に福島正則も広島城の無届け修築を理由に改易となっている。 |