日本の城跡

吉田天神山城


遠望
訪問日 H29年 5月
ポイント 郡山城の西尾根の先端に位置し、尾根の分岐点に曲輪を配した単純な構造である。主郭背後の尾根に三筋の連続竪堀があるのが特徴である。
印象 郡山城は以前に登城したので、隣接する天神山城に挑戦。船山城との切通から入ったが、何故か天神山城の山麓に船山城の案内があり、船山神社も祭られていた。ややこしい。登城道が途中からなくなった為、直登する。途中、いくつかの曲輪があり、山頂にかぎ型の削平地があった。規模も大きくなく、防御施設もあまりないようだ。援軍の陶氏は一万の大軍を着陣させたとあるが、収容できる空間はなく、陶氏の滞在は3日間と陣城としては短いことから、もともと郡山城の出城であったと考えられる。帰りに急坂を下りたが、疲れていた為か転倒、歳だねー
地図
地図をクリックすると拡大します

略史  天文九年(1540)、尼子氏が毛利氏の郡山城を攻めた時、毛利氏の援軍として周防の大内氏の重臣、陶隆房が布陣した城といわれる。陶氏は光井山城の尼子軍を攻撃、退却に追い込んでいる。

登城口

途中の船山神社

途中の曲輪

直登

山頂の曲輪へ

下を見る

曲輪










対岸の光井山城