日本の城跡

倉敷陣屋・代官所

倉敷代官所碑
訪問日 H20年 1月
ポイント 五万石の幕府直轄地・天領、代官所であった。明治21年に跡地に倉敷紡績所が創設された。更に現在は紡績所跡地に倉敷アイビースクエアとなっている。
印象 偶然であった。雪の寒い日、友人と倉敷の美観地区に行った後、ついでに隣接の倉敷紡績所跡地にある倉敷アイビースクエア行く。正門を入ってすぐの所に石碑、掘割、井戸が残っていた。ラッキーだ。説明文を読むと、周辺天領を管轄、五万石の石高の大名並とのこと、今度はびっくりだ。大原美術館は休業日で残念だったが、美観地区の街並みやアイビースクエアのレンガ造りの建物等興味深かった。
地図
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略史  戦国時代の砦があったが、関ヶ原後、徳川幕府の直轄地、天領となった。大阪冬の陣に備中国総代官の小堀遠州は幕府の命を受け、兵糧を倉敷湊から大阪に積み出す為、ここに屋敷を構え倉敷陣屋とした。その後湊は発展し、陣屋は代官所となり初代代官に米倉重種が着任した。以降明治まで備中倉敷、美作久世、讃岐塩飽の天領を管轄する枢府となった。幕末、長州藩奇兵隊の脱走兵に当代官所と浅尾藩陣屋が襲撃され廃燼と化した。
アイビースクエアー・代官所案内
代官所井戸
代官所跡[紡績所)
同内堀跡
美観地区・大原美術館
  
美観地区